JEA発No.93-35 一九九三年九月七日

株式会社角川書店
代表取締役社長 大洞国光 殿

株式会社角川書店、一九九三年八月五日付文書
「七月八日付抗議文に対する回答書」への反論

社団法人日本てんかん協会 会長 高橋哲郎

 本協会が貴社発行「高等学校・国語I」掲載の小説『無人警察』がてんかん に対する差別を助長する恐れがあるものとして、七月八日付にて抗議文を出した ところ、八月五日付にて貴社から回答書が寄せられてきました。しかし、それは 以下に詳論するように、すり替えと矛盾に満ちたもので、本協会としては到底 容認できるものではありませんでした。本協会は慎重にその回答害の内容等に ついて検討を行った結果、ここに、その回答書への反論を発表し、あらためて 教科吉から小説『無人警察』の削除を求めるものであります。

一、この教材はてんかんの高校生を傷つける

 今回、本協会が大きく取り上げた第一義的な理由は、この小説が授業で使用 されたとき、高校生の中にてんかんに対する偏見を広め、かつ、てんかんをも つ高校生を傷つける恐れがあるということです。

 人はそれぞれに自分の興味や感性に従って気ままに小説を読むことができま すし、だからこそ小説は面白いのですが、教科書教材は生徒が選んだものでも なく、読みたくて読むものでもありません。また、その読み方にも多くの場合、 角川書店の教科書にも読み方の 手順や学習の方向付けがなされているように、限定や方向性が要求される点で 単なる小説を読むこととは異なります。

 そこに、編集者や出版者が公教育における教科書教材に対して負うべき責任が あり、私的な文学活動とは厳に区別しなければならない問題があるはずですが、 回答書にはどう読んでもそれが見られません。

 「主題をきちんと把握して批判は成立する」と回答書は述べていますが、小説 における主題は論理的な文章のように文章上に明確な形で表現されてはいず、 ストーリーの展開とともに具体的な描写や説明を通してしか理解することはで きません。そこに「主題設定の 任意性」があり、芥川龍之介の『羅生門』のような著名な小説でさえ、教科書に よって主題の設定が同じではなく、多様性が生まれる原因があるわけです (注1)。また、授業を行う教師も、その文学教育観に従って授業するので、 教科書で設定された主題にそのままとらわれるとは限りません。

 角川版「国語I」にある『無人警察』における授業展開過程の柱が、ロボット 巡査に対する「わたし」の感情の変化に設定されていることは明らかです。そし て、もともと、異常脳波の測定ということはこの小説の主題からいえば、必然的 に要請されることではなく、心電図の遠隔読み取り機で、発作のおきそうな心臓 疾患患者の発見でも良いわけです。主題との関わりで偶然的でしかないことが、 授業の流れの中では軽く扱われ、結果的には文章の表現的な理解だけを生徒に与 えただけで授業が終了することは少なくありません。

 回答書には、「…類別し、支配統制しようとする社会を好意的に見ていた主人 公が、ある日反逆せざるを得ない状況に追い詰められてしまう過程を描いた」と ありますが、小説では、「わたし」はその潜在意識下に「ロボットに対する根強 い反感のあったこと」を発見され、プライバシーの侵害だと怒るのであり、「好 意的に見ていた」という回答書のいう説明は明らかにごまかしです。

 「わたし」は単なる一市民ではなく、「お役所の方」で、公権力側の人間であ り、はじめから支配統制する側の人間です。だからこそ、「わたし」は「ロボッ ト反対運動をおこしてやる」とだけしかいえないし、最後の落ちも、「私は笑え なかった。この刑事もロボット臭かったからである」としかならないのだと考え ます。これを反逆というのはあまりにもオーバーな表現です。

 また、指導書で不足分を補うと回答書は述べていますが、高校教師のどれだけ が指導書に目を通すのかわかっているのでしようか。高校教師の現実をまったく 無視した発言だといっても過言ではありません。

 本協会や各都道府県「支部」の相談活動では、てんかんをもつ高校生やその両 親から、授業やその他の学校活動の中で心を傷つけられた多くの事例が訴えられ ています。教員養成大学等で障害児教育の基本を学んでいる教師の多い義務性の 学校と違い、そうした教育を受けていない高校教師に障害者教育についての理解 が欠けるのは、ある程度やむを得ないことかもわかりません。しかし、そのため 障害をもつ生徒に対する指導に不適切さを生むことがあることも否定するわけに はいきません。そうした高校において、これが教科書教材として授業で取り上げ られたとき、てんかんをもつ高校生を傷つける恐れは十分にあると考えねばなら ないと思います。

 回答書ではただ、「肯定的に描いているわけでないのだから」という理由だけ で、一方的に「それにはあてはまらない」と述べているに過ぎません。しかし、 添付された作者の覚書では、「文学は本質的に人を傷つける」ものであるとの文 学論が展開されています。私たちは、筒井氏の文学論をそのまま肯定するもので はありませんが、「高校生を傷つけることになる」という、私たちの主張に答え るものとして、筒井氏がかかる文学論を展開したことは、少なくとも、氏は問題 小説が高校生を傷つけるものであることを、肯定していると解釈する以外にあり ません。回答書の主張は、作者自らによって、積極的に否定されているのです。

 この教材がきっかけで、てんかんをもつ高校生へのいじめや差別が始まったり 強化され、心を傷つけられた高校生の上になんらかの問題が発生してからでは遅 いのです。この回答書はそれに対しては何も答えてはいないのです。

二、人権無視は明らかである

 てんかんをもつ人々を「発作をおこす前に病院に収容する」とは、てんかんを もつ人々の人権無視ではないかという本協会の指摘に対して、回答書は「小説の 主題」をきちんと把握して批判が成立するといって逃げ、小説に描かれる未来社 会は「取り締まりに重点を置く社会」だから、てんかんを医学福祉の対象として 扱っていないのは当然だと開き直る一方、「病院に収容することは肯定的に描か れていない」と弁解していますが、どこにそんな否定的な文章があるのか不明で す。

 また、教科書の中では、「わたし」のロボットに対する意識の変化に注目し整 理することは求めていますが、「取り締まり社会の批判」という視点はどこにも 見当たりません。病院に収容することは肯定的に描かれていないというが、否定 的にも描かれてはいないの です。

 運転を止めさせるということだけならばまだしも、発作をおこしもしないのに、 その前に病院に収容してしまうということが、てんかんをもつ人々に対する人権 無視でないとい根拠は何か、改めて説明を求めたいと思います。

三、てんかんが悪者扱いされている

 「てんかんが悪者扱いされている」という本協会の指摘に対し、回答書は「て んかん」と「酒を飲むこと」、「悪いことをしていない」とは「並列の関係」に あり、「悪いこと」が「てんかん」をさしていないとありますが、これには四つ の問題を指摘しなければなりません。

 第一に、回答書は「悪いことをしていない」が「てんかんでない」を受けてい ないといっていますが、本協会が問題にしているのは、「悪いこと」が「てんか んでない」を受けているかどうかということではありません。それらが一緒にそ こに並べられているという ことが問題だといっているのです。それらが並べられていたとき、回答書自身が いっているように、これらは「並列の関係」にあります。「並列」とは「同種の ものが左右に並ぶこと」(岩波国語辞典)であります。つまり、回答書自身が、 てんかんは「悪いことをすること」の同種のもので、その仲間だといっているの です。

 第二に、「酒を飲んでいない」とあったとき、酒を飲んで歩き回るみっともな い状態を否定することがイメージされ、次に「悪いことをしていない」が続くこ とになります。では最初の「てんかんではない」ということはどのようなイメー ジに結びつくのでしようか。この小説の作者は、(注2)別な作品において「て んかんは精神異常で危険な乱調人間の双璧」(『乱調人間大研究』)等々、てん かんについてこれ以上ないと思われるような蔑視的言辞を連ねているのです。授 業者や高校生が教材研究の一環として、作者の他の作品を調べ、作者がてんかん に対し、危険、精神異常のマイナスのイメージをもち、みっともないことや悪い ことと同種のものと捉えているのだと考えることは当然の帰結だと考えます。

 第三に、この段落は「歩行者の取り締まりができる新型のロボット」が問題に なっているところです。歩行者の取り締まりに関係して、何故「てんかんでない」 ということを強調しなければならないのか、てんかんであれば歩行もできない社 会と設定されているとし なければ、解釈できない文章です(注3)。ここに、この小説の抜きがたいてん かんに対する差別意識が明瞭に表れているのがわかります。しかも、小説の原文 では「テンカンの素質をもっていない」となっていたところです。「テンカンの 素質」があれば歩いても取り締まりの対象になるかもしれない社会、そんなこと がなぜ構想されるのか、その真意こそ私たちは問題にしたいと思います。それが 未来社会だからといっても、そう考えること自体が、てんかんに対する差別その ものであることは明らかです。

 第四に、悪いことをしたものは思考波が乱れ、てんかんは脳波に異常、これが この小説に設定された状況です。思考波と脳波はどう違うのかは何も説明されて いません。思考波と脳波を混同し、それを媒介に「悪いこと」と「てんかん」を 同種のものだと高校生が考 えることは間違いないところです。

 「小説を読む能力に根本的な欠陥があるふりしてまで、言い掛かりをつけてい る」という筒井氏(覚書)こそ、国語教育の授業について何の理解ももたずに、 人を勝手に無能力者扱いしているといわざるを得ません。

四、医学的に間違った説明がなされている

 回答書のてんかんに関する考え方は相変わらず、時代遅れのままです。時代遅 れということは、作者の筒井氏自身その覚書で「てんかん医療に関する新しい知 識は不足しているかもしれない」と「時代遅れの可能性」については認めている ことで、本協会だけが一方的にいっているわけではありません。

 この小説が三十年近く前に作られたもので、当時のてんかん医学の水準を反映 して、現在から見れば多くの間違いをもっていることは、文部省の検定の過程で、 てんかんの扱いは間違いがあるという指摘があり、教科書には原作と違った表現 を入れたり、注記を人れたりしなければならなかったことに明確に現われていま す。

 それにもかかわらず、回答書ではそのことにはまったく触れず、作品そのもの に何の問題もないかのごとき論を展開しているのはごまかしとしかいいようがあ りません。問題が何もないのであれば、修正した理由は何故か説明していただか ねばなりません。

 脳波検査が、「発作等の臨床的所見があった場合にそれがてんかんかどうか、 どういうタイプのてんかんかを見分ける手段」であることや、「てんかんをもつ 人でも、脳波異常のない場合もあるし、逆に健常者でも数パーセントは脳波に異 常があらわれる」ことは、最近のてんかん医学の専門書ならばどれにでも書かれ ていることです。つまり、脳波検査だけではてんかんであるとは断定できないの ですから、教科書の説明は医学的に間違いです。それに対して、回答書は「有力 な検査手段だから、教科書の記述は間違いでない」と述べているに過ぎません。 しかし、その一方、作者の筒井氏の党書では、「事前に発作がチェックできると いう設定は、未来社会の話だからであり、現在において医学的に誤りであること はいうまでもないことである」と認めているのです。回答書がそれに矛盾するこ とは明らかで、この点でも回答書の主張は作者の覚書によって否定され、破綻し ていることは明らかです。

五、運転免許取得と日本てんかん協会の立場

 てんかんをもつ人々の自動車運転の問題については、ここでは深くは触れず、 次の諸点と本協会の立場を説明するにとどめます。

 現在、成年のてんかんをもつ人々の約半数が運転免許を取得していますが、交 通事故率は健常者よりも低いという調査結果も発表されています(日本てんかん 学会調査)。

 裁判所の判例にも「長年発作をみない場合は道路交通法にいうてんかんにあた らない」というものがあり、てんかんをもつ人々への免許交付にも弾力的に対処 する公安委員会も現れています。

 本協会が、発作のコントロールができ、発作による事故を引きおこす心配のな い本人に対しては免許交付を認めるように法改正をすること、その一方、運転の 好ましくない本人に対しては、他の障害者同様に運賃の割引等の適用を求めてい ることは、障害者の社会参加と福祉の充実という観点から当然のことだと考えま す。

 また、てんかん以外の発作性疾患(高血圧、心臓疾患等)による運転時の事故 発生率は年々増加し、その対策が現在大きな社会的問題になっているとき、てん かんをもつ人々の問題だけを云々することは不公平の謗りを免れないと考えます。

六、ふたたび教科書からの『無人警察』の削除と誠意ある回答を要求する

 最後に回答書は、開き直りともいうべき態度で高圧的、挑戦的に協会に対し陳謝 を求めていますが、それは言論の自由と公益の擁護に関して回答書の筆者たちこそ 誤った理解しかもっていないことを暴露したものというべきです。

 一方的に記者会見を間いたとして回答書は協会を非難していますが、協会は事前 にその見解と要求を貴社に対して出しており、この非難は当たりません。

 回答書は最後に本協会に対し、「自己の立場を強調するあまり、他者をかえりみ ない不当なもの」と非難し、「多大の損害を受けていることを申し添える」と締め くくっていますが、これこそ公益法人がその設立主旨に従って行う公益に関する活 動と、自社の私的な営業活動を同列におき、公私の区別すらついていない言葉だと いわなけれ誹りばなりません。もし、この教科書を教室で使用した結果、重大な問題が 発生したとき誰がどのように責任をとるというのでしょうか。そのときになってか らではすべては遅いのです。

 本協会は、貴社の陳謝要求には当然応ずることはできませんし、改めて教科書か らの「無人警察」の削除を要求するものです。

 本協会の抗議文は、会長高橋哲郎名をもって貴社代表者角川春樹氏(当時)宛に提 出されたものですが、回答書は常務取締役(人権擁護委員会事務局長)永持道明及び 総務部長組橋俊郎名義のもので、責任者の回答とは言い難いものでした。

 また、人権擁護委員会で議論したとありますが、それは自社の役員を責任者として 構成したもので、第三者機関とも言い難く、そこで公正な議論が行われたとは考えら れないことです。

 また、最後にその回答書が送られてくる過程での貴社の態度は、本協会松友常務理 事の抗議文にあるように、企業法人の組織的対応としては、きわめて非常識なもので あったことを指摘しておきたいと思います。

注1)東京都高生研国語の会編「羅生門・こころを読む」(一九九二年八月)
注2)『乱調人間大研究』「暗黒世界のオデッセイ」(新潮文庫)
注3)ロボットはスピード違反、酔っ払い運転、脳波異常の検出という二つの機能を もっているのに「わたし」が「スピード違反をしていない」ことを問題にしようとも していないことに、もはや自動車の問題ではないことが端的に現れている。

(社団法人日本てんかん協会機関誌「波」第17巻10号 1993年10月掲載、原文は縦書き)


Last Updated Dec.5.98
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