Kyoukasyo Mondai [hanron2]

社団法人日本てんかん協会機関誌「波」第17巻10号 1993年10月号

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筒井康隆氏の覚書について

高橋哲郎

 筒井康隆氏の『無人警察』が掲載された角川書店発行高等学校教科書 「国語I」の使用中止と同教科書からの問題小説の削除を日本てんかん 協会が要求したことに対し、角川書店は八月五日付にて回答書を送ってき ましたが、それには著者筒井氏の「覚書」が付されていました。

一、覚書において筒井氏は問題小説の執筆にあたって、大阪大学附属病 院の精神・神経科を訪れて調査し、小説と同時期に発表したという 『精神病院ルポ』を付記しています。

 それは、氏の『乱調人間大研究』(「暗黒世界のオデッセイ」 所収/新潮文庫)の一節なのですが、その前後にもてんかんをもつ人々 について論じた部分があり、覚書では何故か省略されています。少々長 いですが引用しますと、

「こういった分裂質タイプ中のパラノイドと同じくらい危険で、しかも、 日本ではきわめて多い精神異常に癲癇がある。この二つが、「危険な乱調人間」 の双璧であろう。
 癲癇は、読者諸氏も知人の中に必ずひとりはその存在を認めておられる ことであろう。ぼくの小学校時代に堀という友人がいたが、これが癲癇だっ た。学校の廊下で仰向けにぶっ倒れていたのを記憶している。その後聞い た話では、可哀想に橋から落ちて溺死したそうである。
 癲癇がなぜ危険かというと、周囲の人間も本人も、彼が癲癇であること を知らないという場合がしばしばあるからである。前述の堀という子のよ うに発作があれば誰にだって病気であることを知ることができるのだが、脳か ら異常波を出していながらも、まだ一度も発作を起こしたことのない人もいる。 中には自分が癲癇であることを知っていながら、それを隠しているやつまでいる。 こういう連中が、しばしば他人の生命を預かる職業に就いたりするのだから危険 なのだ。」

イタリック部は高橋)

とあって、例のルポが始まるのです。また、ルポの後には、

こんなに癲癇が多いのでは交通事故が日常茶飯事 になっても当然である。(八行略) 他人に迷惑をかける乱調人間は、 これはもうはっきり精神異常であって、人院の必要があるわけだから、精神 科医におまかせすることにし、以後は触れないことにしよう。」

イタリック部は高橋)

とあります。
 また、「乱調人間」とは、「一般社会に棲息している 『少しおかしい』人間」のことである。(同書二一三ページ) (イタリック部は高橋)
 これらの文章を見れば、作者のてんかんに対する見方は明らかです。
 筒井氏は、「この作品(『無人警察』)において、てんかんをもつ人を 差別する意図はなかった」と述べていますが、同時期にこの小説のための調査 を基礎に作ったという別の作品で、てんかんについてこれだけひどいことを書 いている作者が、てんかんを差別する意図はなかったといわれても、それを 信じろという方が無理なことです。
 貴殿の覚書はまず第一に、てんかんをもつ人々を侮辱している部分はこっそ り隠し、真ん中だけを載せているという点で、恐ろしくアンフェアな文章です。
 第二に、内容的にまったくの独断と想像でものをいっていることです。
 私は、五十年近くをてんかんと共に生きてきましたが、精神異常などといわれた ことは一度もありません(注1)。このルポが書かれた一九六後年当時でも、てんか んと精神異常を混同していた精神科医がいたとしたら、それはもぐりの精神科 医だといっても過言ではありません。
 てんかんが多いから交通事故が日常茶飯事になるとは、何を証拠にいってい るのでありましようか。てんかんをもつ人々は、全人口の一パーセント弱、しか も、その多くは未成年者です。不法に免許を取得している本人がいるとしても、 運転者全体の中に占める割合はごく僅かです。それが交通事故が日常茶飯化す る要因だというのは、あまりにも独断と誇張に過ぎるというべきです。しかも、 日本てんかん学会の最近の調査では、てんかんをもつ人々の事故率は健常者より も低いという数字さえあるのです。この本の二三七ページにあります、

 脳に外傷があるやつや、癲癇持ちが酔っ払った場合も危険である。もうろう としたままで夢中で暴れまわって、しかもあとでは何も覚えていない。

という文章も、てんかんをもつ人々をひどく中傷している点では前に劣らない ものです。こんなことは、絶対にありえないことです。てんかんであるという ことと酒乱であることは、医学的には何の関係もありません(注2)。
 「精神異常であって、入院の必要がある」ということが、ルポの結論として 出ていることからわかるように、『無人警察』における「発作をおこさないの に病院に収容する」という問題の箇所は偶然の産物ではなく、「事前にチェッ クできるのは、未来社会の設定だから」という覚書の説明も単なる言い訳に過 ぎないことは明らかです。
 第三に、「てんかんが危険なのは自分がてんかんであることを知らない場合 があるから」ということや、しかも「それは発作があれば、誰にでもわかるが、 一度も発作をおこしたことがない人もいる」からだ。「てんかんであることを 知っていて隠しているやつがいる」というに至っては、てんかんに対する差別 に凝り固まった言葉だとしかいいようがありません。発作がなければてんかん でないことを知らないのは当たり前ですし、発作をおこしたこともないのに危 険だとはどういうことなのでしょうか。一度も発作をおこしたことがなければ、 「てんかんでない」はずです。
 また、てんかんであることを隠している人間を「やつ」呼ばわりし、非難す る理由は何なのでしょうか。てんかんをもつ人々にもプライバシーはあります。 てんかんであることを、他人に告げる告げないは、相互の信用関係を基盤に自 由な意志に基づいて行うべきことであり、筒井氏のような予断と偏見をもつも のに告げる必要はどこにもありません。
 また、隠しているといっても、その多くは隠そうとして隠しているのではな く、生活のためや環境に強いられて、そうしているだけなのです。私のように、 てんかんをもつ本人であることを名のることができるのは、隠さなくても良い だけの環境と社会的立場があるからで、現在の日本では数少ない幸せな人間な のです。日本てんかん協会の運動の大きな目的の一つは、すべての仲間が胸を 張って生きられる社会を作ることなのです。

二、この小説が書かれたときから約三十年になりますが、その当時とてんかんを 取り巻く情勢は大きく変わっています。てんかん医療そのものが飛躍的に発展 し、複数の国立のてんかんセンターを中心にてんかん医療のネットワーク化も 進み、てんかん医療の条件は過去には見られないほど整えられています。その 中で、てんかんは治る病気へと変わり、最近の精神保健法改正を機会に政府も てんかんを一般疾病(医療)として扱う方向に変わろうとしています。
 筒井氏は「状況が改善されたとは聞いていない」といっていますが、何が改 善されていないというのでしょうか。昭和四十五年の自動車の所帯別保有率が二二・一 パーセントであったのみ対し、平成四年には七八・六パーセントになっています。 しかし、交通事故死亡発生率は昭和四十五年の人口十万人当たり二〇・五から平成四年 には一一・八に減少しているのです(注3)。その中で、もしてんかんをもつ人々 に関してのみ、改善がないとすると、交通事故のほとんど全部がてんかんをも つ人々がおこしたものということになりかねませんが、そんなことがあり得る でしようか。
 社会におけるモータリゼーションの進展と、大衆交通機関の合理化と統廃合 の進む地方の都市農村では自動車は必須の交通手段であり、生活の道具となっ ています。そうした中で、てんかんをもつ人々の免許取得に関しても、「長年 発作を見ない場合は、道路交通法にいうてんかん病者に該当しない」という判 決も出され、府県によっては公安委員会の扱いにも変化が現れています。日本 てんかん学会の調査では、てんかんをもつ人々の免許取得はその約四十八パーセン ト、そしてその三十九パーセントが実際に運転していること、その事故率は健常者 に比べて低いことが報告されています。日本てんかん学会ではこうした調査に 基づき三年間発作をみていない本人に対して、免許取得を認めるよう提案を行っ ています。
 「事故当時意識を失っていた」という新聞記事があるとして、それがてんか んだと勝手に推論し、それが新聞記事に出ないのは「てんかん差別の糾弾」が 激しくなったからだと根も葉もないことを並べるに至っては、これが社会的に 評価を受けている作家の発言かと、その品位を疑いたくなる言葉です。
 一体いかなる団体が、いつ、どこで、てんかんに関して事実を隠蔽するような 「糾弾」なるものをやったのか具体的に示していただきたい。
 また、意識を失う疾患がどれだけあるのか。知った上で筒井氏は発言されて いるのでしようか。もし、そうだとすると、なぜ「知らないふりまでして」こ んなことをいうのかお伺いしたいものです。
 日本てんかん協会が「てんかんをもつ人々にも車の運転をさせようという運 動をしている団体のように読み取れる」と、協会に対する誤解を意識的に広め ようとしていますが、声明文に添付して送付しました「てんかん制圧運動の基 本理念」には、「社会一般の常識に基づいた活動」が基本原則とはっきり書い てあります。発作による事故の心配や、本人や他人の命に危険をもたらす可能 性のある本人に対してまで、運転免許取得を認めよなどとは、協会はいってい ません。協会の要求は、裁判所の判例にもあり、また、日本てんかん学会の提 案にもあるように、長期間発作がなく、運転中の発作による事故の心配がない ものに対しては、免許取得を法的に認知して欲しいということです。
 それに対して、長年なくても、絶対発作がないといえるかという反対論を聞 くことがあります。しかし、それについては、その確率は非常に小さく、健常 者が偶然に事故をおこす確率とほとんど変わらないという判断があるからこそ、 裁判所の判例や学術団体からの提案が出されていることを、指摘しなければな りません。また、発作性疾患は、高血圧、心臓疾患、ぜんそく等、てんかん以 外にも数多くあり、それらの自動車運転には何の法的規制もありません。とこ ろが、一九八後年に東京都だけで運転中に心臓発作で突然死した人数は七十六人に上っ ています。それに何といっても、交通死亡事故原因の圧倒的多数は、本人の暴 走で、交通死亡事故全体の四十四パーセントに上ります。したがって、いま、私た ちの要求が社会に大問題を引きおこすかのように非難することは、てんかんだ けを特別視、差別する何ものでもないことを私は訴えます。

三、「教科書として使用した場合、てんかんをもつ高校生や近親者にてんかんを もつ人々がいる高校生が存在するとき、どのような思いで授業に臨むことになる か考えて欲しい」という日本てんかん協会の指摘に対し、筒井氏は「文学論で答 えるしかない」といって、芸術形式からいって小説が人を傷付けるのはさけられ ないかのようにいっていますが、これについては、三つの問題を指摘させていた だきます。
 第一は、小説には多様な形式があり、「誰かを傷つけているという芸術形式」 だと断定する筒井氏の文学論はあまりにも一面的過ぎることです。ただ、読者の 心に切込み、葛藤させ、価値観をゆるがすことを、「傷つける」というのであれ ば、文学にそうした一面のあることは否定するものではありません。しかし、そ れが読者に文学的感動となって結実し、精神の解放につながることができるのは、 そこに真実があるからであり、デマや虚偽の事実ではそうはならないはずです。 その点で、問題小説は、明らかに事実をねじ曲げ虚像のてんかん像の上に作られ たもので、それが文学論たりうるのか疑問を呈さざるを得ません。
 第二には、小説が書かれる過程や小説そのものの中で、人や自分を世界の中で 傷つけることと、その小説を教材として使うことによって、てんかんをもつ高校 生が精神的に傷つけられることとはまったく異質な問題なのに、それらが混同さ れています。高校生は社会的経験に乏しく、もっとも心の傷つきやすい年代です。 ブラックユーモアも程度によりきりで、それを教室で教材として用いるときには 慎重さが要求されることは当然のことです。
 第三に、この覚書からは、心を傷つけるのは仕方がないといっているとしか受 け取れませんが、角川書店からの協会への回答書は傷つけることはないと言って います。角川書店の言い分と作者の見解とは明らかに食い違っています。
 私の高校生時代は、てんかんに関する誤った学説が教科書にも掲載されていた 時代でした。それを教室で聞き、傷ついた心で人生に悩み、自分の将来にまで絶 望しかけた私自身の苦い経験を、若い後輩たちがふたたび繰り返すことがあって はならないのです。

四、筒井氏はまた、小説は書かれた時から、時代後れになる運命をもつものであ ると述ベた上で、自分は他の作家のように、時代遅れになった記述を書き換える ことはしない。それは小説は時代の産物であり、歴史の記録、歴史的証言でもあ るからだ、と述べています。しかし、歴史的記録としての小説であれば、資料館 に保存されているだけでよいのであって、生きた時代に読まれるための小説とは 別なものであります。小説を時代に合わせて書き換えることは、歴史の書き換え ではありません。事実、この『無人警察』自身、角川文庫『にぎやかな未来』に 収められているものと、『国語I』の教科書に収録されたものとでは一〇〇カ所近 く、表現や表記上の訂正や修正がなされています。ほとんどが小さいところです が、それでも書き換えには違いありません。そして、小さいところだからこそ、 筒井氏の哲学からは書き換える意味がわかりませんし、検定のためだとしたら、 権力には弱く、障害者団体にはことさらに肩肘を張って見せる筒井氏の文学論は、 なんと色あせて見えることでしようか。

 その他、筒井氏の覚書には問題にしたいところがないわけではありませんが、 日本てんかん協会の「角川書店の回答書への反論」の中でも論じられていること なので、ひとまずペンを置くことにいたします。

注一、これは私の経験を述べているだけで、精神障害者を差別するものではありま せん。私自身、現在、精神障害者団体の役員として、その運動発展に微力ながら 参加している人間であります。
注二、昭和六十二年〜平成三年の四年間に、なんらかの犯罪に関わったとされ検挙された てんかんをもつ人々は、六十九人に過ぎない。同時期の検挙者総数が七九十万人である から、一〇万分の一にもあたらない
注三、総務庁編「交通安全白書」、警察庁「警察白書」
高橋哲郎(一九三二年十二月十一日生まれ):中学の時てんかんの初回の発作、以後 約五十年をてんかんと共に生きて、現在、社団法人日本てんかん協会会長
現在/龍谷大学理工学部教授、京都大学教育学部講師(科学教育、授業科学)
著書/『講座、現代の高校教育3 教科と授業』(草木文化)
   『教育の原理と展開』(あゆみ書房)
   『教師のための科学史教育入門』(新生出版)
   『授業技術講座2 授業を改善する』(ぎょうせい)
   『子どもの発達と環境教育』(法政出版)  その他、


Last Updated Dec.8.98
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