Kyoukasyo Mondai [hyougen]

社団法人日本てんかん協会機関誌「波」第17巻12号 1993年12月


日本てんかん協会と表現の自由

(一)断筆宣言は筒井氏の自由意志

 日本てんかん協会が筒井康隆氏の小説『無人警察』の教科書採用に抗 議し、その削除を求めている最中に、筒井氏が突然「断筆宣言」をした ことをとらえ、一部のマスコミや評論家が日本てんかん協会にその責任 があるかのように報じていることは、事実を逆さまに論じているもので、 遺憾に堪えないことである。最初にはっきりさせておかねばならないこ とは、断筆ということを協会は要求したことはなく、それは筒井氏のまっ たくの自由意思で行われたものだということである。

 筒井氏の膨大な著作の一つについて障害者団体が抗議をしたからと いって、表現活動をすべて止めなければならない理由は何故なのか、常 識では到底理解しがたいことである。それは反則を一回だけ指摘された 選手が、それも強制的な権限のみる審判からではなく、何の強制力も もっていないいわば観客の一人から言われたことが気にいらないからと いつて、もう俺はどんな競技もいっさいやらないぞといって、競技場の 真ん中でわめいているのとまったく同じとしか思えない。

(二)協会は「言葉狩り」とは無関係

 筒井氏は「言葉狩り」とか「表現狩り」が問題だといっているようで ある。しかし、問題の小説の教科書採用にあたり、筒井氏は文部省の検 定に対しては、簡単な表記の問題を含めて90数箇所の訂正に応じている のである。私は「言葉狩り」などいう日本語があることを知らなかった し、私のもっている辞書のどれを見てもそんな言葉はのっていない。こ の言葉を聞いたとき何という恐ろしい言葉だろうと思ったし、このよう な言葉を平気で使える人々の感覚を疑いたくなるのであるが、問題を明 確にするために、あえて使用すると、文部省の「言葉狩り」に対しては 唯々諾々として承服していながら、私たちの要求には、書き変えには応 じないといってがんばり、突然、断筆だというのである。

 私たちは文部省とはちがい、強制する権力はないし、あるのは言論だ けである。それにもかかわらず、筒井氏が断筆宣言だと開き直り、何か 強大な圧力がかかっているかのようなポーズをとっていることは、筒井 氏の意図のいかんにかかわらず、結果的には私たちの運動を封じ、ある いは妨害することになっている。断筆宣言以来、協会の事務所には筒井 ファンと名乗る人たちから抗議の電話がかかり、業務の妨げになってい るし、ある評論家のごときは協会をファシズム呼ばわりさえしているの である。

(三)言葉ではなく内容が問題

 協会はたとえば「てんかん」という言葉の使用に反対したこともない し、個々のことばを差別語としてきめつけたことはない。一度も言葉狩 りなど行ったことはない。協会が問題にしているのは、筒井氏の小説の 中で、てんかんに関する認識に誤りがあり、てんかんの患者を人間扱い しようとしていない、その中味が問題なのである。

 また、普通高校の中にはてんかんの高校生に対する指導に問題のある ところも少くなく、その結果、登校拒否や悲しいことに自殺まで発生し ている。高校の教材に筒井氏の小説が使用されたとき、差別の拡大は明 白なので、削除を求めているのである。

 私たちの心配が思い過しでないことは10月5日の『朝日新聞』の論断 で大阪の府立高校の国語の先生が「てんかんの高校生が傷つくのは論を まちません。…″『てんかん』って病院に収容されるのがあたりまえの 病気なのだ。自分はそうでなくてよかった″と単純に読み取ることは容 易に想像できます」と述べておられることからも明らかである。あの教 科書の編集責任者である大野晋先生からも「検定をとおっているとはい え、適当でないと思いますので、角川書店には掲載を止めるように話し ています…貴協会がこの問題を提起されたのはその役目から当然のこと と思います」とお手紙をいただいている。

(四)協会こそ「表現の自由」実現の実践者

 自分がてんかんであることや家族に患者がいることを公然と語れる人 は少ない。就職、家族の結婚の妨げになる心配が常につきまとって、い いたくても言えないのである。

 筒井氏は小説『暗黒世界のオデッセイ』の中で「てんかんの患者は自 分が患者であることを隠しているやつがいる」と、てんかんの仲間に表 現の自由がないことを揶揄したが、私たちにとっては、ことは日々の生 活や生き方にかかわることで、筒井氏がいうような安易な問題ではない。

 「表現の自由」をもっとも渇望してやまないのは、他ならぬ私たちで ある。

 日本てんかん協会こそ「言論、表現の自由」を求めてやまない人々の 集りである。一日も早く、てんかんであることをすべての患者家族が何 の圧力も感ずることもなく、語ることのできる日を実現することこそ、 協会の大きな目的であり、日々の運動はそのために行われているといっ てもよいのである。

 筒井氏の問題小説の教科書からの削除や、全集等からの削除を求めて いるのも、それがてんかんの家族や精神障害者に対する社会的差別を一 層強め、私たちの多くの仲間の表現の自由拡大の妨げになるからである。 しかし、権力をもたない私たちの武器になるのは言論であり、人々の理 性と善意に訴えて行うことだけである。暴力を用いずに行う限り、それ はなんら非難されるものではない。それこそが「表現の自由」なのであ る。

 筒井氏の表現の自由と協会の表現の自由とが衝突したとき、どちらを 優先することが社会正義にかなうかは明白である。筒井氏は「プッツン だ」とか「断筆だ」だとか、気楽なことを(少なくとも明日の生活の心 配はないような)話しているが、てんかんの仲間の多くは毎日の生活や 仕事にもままならないのが現状である。協会はこうした仲間の声を代表 して差別拡大につながる小説の削除を求めているのである。切実な弱者 の声を代表する協会に優先権のあることは明白である。

 権力や暴力による自由の侵害と弱者の抗議とはまったく別ものである。

 弱者の表現の自由が圧迫されている現実にはまったく目を向けようとは せず、筒井氏の断筆を惜しむあまり、多くの国民の見ている前で、言論だ けをたよりに問題を提起している障害者団体に対してだけ攻撃するとする ならば、それはあまりにも不公正というべきである。その人々が問題にし なければならないのは、社会的に評価を得た作家が自らの意思で断筆した あまりにも不可解な態度であり、「言葉狩り」といいながら、90数個所も 訂正させた文部省には何の抗議もしようとしないことでなければならない。

(社)日本てんかん協会 会長 高橋 哲郎



Last Updated Sep.24.97
[前のページへ]