Kyoukasyo Mondai [kaitou1]

(社団法人日本てんかん協会機関誌「波」第17巻9号 1993年9月掲載、原文は縦書き)


社団法人日本てんかん協会会長
高橋哲郎 殿

 1994年度より小社発行の高等学校国語科の教科書「国語I」 に収載の「無人警察」(筒井康隆作)について、1993年7月8日 付、小社代表取締役角川春樹宛、社団法人日本てんかん協会よ り「てんかんへの差別を助長する表現がある」との抗議を文書 で受け、同七月十日付関係各位宛の声明文が出されました (抗議文・声明文ともに七月十二日に受理)。小社では、この 問題について、社内の人権問題委員会を中心に、筒井康隆氏、 編集委員会とも協議し、その結果、次のような結論に達しまし たので、その旨回答いたします。なお、「無人警察」における てんかんに関して記述した部分は次のとおりです。論議すべき 点を明確にするため、あらためて引用しておきます。少々長く 引用いたしますが、それはあくまでこの作品を文脈にそくして 正しく読み取る必要性があるからです。 (傍線は角川書店)[ここでは傍線部は 青色で示す]

四つ辻まで来て、わたしはふと、街角の街路樹にもたれるように して立っている交通巡査に目をとめた。もちろん、ロボットであ る。小型の電子頭脳のほかに、速度検査機、アルコール摂取量 探知機、脳波測定機なども内蔵している。歩行者がほとんど ないから、この巡査ロボットは、車の交通違反を発見する機能だ けを備えている。速度検査機は速度違反、アルコール摂取量探知 機は飲酒運転を取り締まるための装置だ。また、 Aてんかんをおこすおそれのある者が運転 していると危険だから、脳波測定器で運転者の脳波を検査する。 異常波を出している者は、発作をおこす前に病院へ収容されるの である。わたしがそのロボット巡査に目をとめた理由は、 いつも街頭で見るそれと、少し違っていたからだった。普通鋼鉄 製のボディーがむき出しなのに、このロボットは服を着ていた。 そのえボディーも大きく、頭上にはアンテナが8本も付いていた。 「新しいタイプのロボットだろうか?」そう思っててよく見直し、 わたしはすぐに昨夜見たマイクロ・テレニュースを思い出した。 今日は、新型の巡査ロボットが、試験的に、都市の2、3の街頭に お目見えする日だったのである。こいつは、それに違いなかった。 「妙な格好だな。」
じろじろと見つめていると、ロボットのはうでも、金属的なきし んだ音を立てて、ぐるりとわたしのはうへ、その頭を向け直した。 たとえロボットでも、巡査ににらみ返されるというのは、あんま りいい気持ちではない。 「そうだ。この新型は、歩行者の取り締まりもできるのだっけ。」
わたしはまた思い出した。でも、B わたし はてんかんでないはずだし、もちろん酒も飲んでいない。何も悪い ことをした覚えもないのだ。このロボットは何か悪いことをした人 間が、自分の罪を気にしていると、その思考波が乱れるから、それ をいちはやくキャッチして、そいつを警察へ連れてゆくという話 だった。連れてゆくといっても、手錠を掛けるわけでもな ければ、腕ずくで引っ張ってゆくわけでもない。ただ、どこまで もついてくるのだ。(以下略)

これに対する、7月10日付声明文は次のとおりです。

  1. 青色部Aを引用して、 「てんかんをもつ人々の人権を無視した表現」であり、「てんかん は取り締まりの対象としてのみ扱われ、医学や福祉の対象として考 えられていない。
  2. 青色部Bを引用して、 「てんかんが悪いことの一つのように書かれている」。
  3. アメリカ、イギリス、デンマーク、スウェーデン、ドイツ等の諸 国でのてんかんをもつ人々の自動車運転に触れ、「国によって異な るものの、6カ月〜3年間発作が抑制されていれば、自動車の運転が 認められる」ようになっており、「こうした世界の趨勢に逆行し、 (中略)てんかんに対すると差別や偏見を助長する」ものである。
  4. 「てんかんと脳波の関係について医学的にも誤った説明」である とし、「てんかん発作の形態はきわめて多様であり、教科書が注記 で述べている『発作のとき、身体のけいれん、意識喪失などの症状 が現れる病気』というのは、てんかん発作の一都分にすぎない」と している。
  5. 「教科書として使用した場合、そこにいるてんかんをもつ高校生 や、近親者にてんかんをもつ人がいる高校生は、どのような思いで 授業に臨まねばならないことになるのか」考えてほしい。

 先ず、この声明文に回答する前に、「無人警察」の作品としての 位置づけを明確にしておく必要があります。と、申しますのは、こ の作品は言うまでもなく、文学作品であり、小説としての主題をき ちんと把握してはじめて批判が成立すると考えるからであります。 「無人警察」は一読してわかりますように、近未来を描いたSF小説 です。交通違反の取り締まりの手段として、速度検査機、アルコール 摂取量探知機、脳波測定機などで人間を類別し、支配統制しようと する社会を好意的に見ていた主人公が、ある日突然反逆せざ るをえない状況まで追い詰められてしまう過程を描いた作品です。 管理統制された未来を讃える作品ではありません。人間がロボットに 潜在意識まで探られてしまう結末から、文明とは何か、人間のアイ デンティティーとは何かを問い掛けている作品です。このような 読み取りに立脚して、初めててんかん云々の論議ができるのです。

 さて、1 の「てんかんは取り締まりの対象としてのみ扱われ、医学 や福祉の対象としてはまったく考えられていない」と言うのは、交通 違反の取り締まりの対象としてはまさにその通りと言わざるをえませ ん。「てんかんをおこすおそれのある者が運転していると…」の前後 を読めばわかるように、「四つ辻まで来て…」(本文29頁12行)〜 …発作をおこす前に収容されるのである。」(本文30頁6行)までの 段は、自動車の交通違反の取り締まりの様子を描いた文章であり、そ の中にはスピード違反、飲酒運転の取り締ま りも含まれているのです。現代の日本において、その是非はともかく、 てんかんは運転免許の欠格事由(道路交通法第88条1項2号)となって います。そして、この近未来小説においてもその設定を使っています。 輝かしい未来であれば、てんかんに限らず、病気そのものを克服すべ きはずですが、残念ながらこの小説で描かれている未来社会は、取り 締まりに重点を置く社会であります。

 また、この交通違反取り締まりの段に、医学や福祉の問題を書き込 めるものではありません。医学・福祉の側面から、てんかんについて 啓蒙し、発言していく必要は充分認めますが、ここはその場ではない と考えます。小説が壊れ、文学作品としての体をなしえない からです。

 2 の「てんかんが悪者扱いされている」との発言は、まったく読解 の不十分さから生じた誤読と言わざるをえません。教科書の原文は次 のようになっています。

 でも、わたしはてんかんではないはずだし、もちろん酒も飲んでいな い。何も悪いことをした覚えもないのだ。 (青色は角川書店)

 ところが、声明文の傍線の部分は、「何も 悪いことはした覚えもない」となっています。教科書の原文 を読むかぎり、「てんかん」と「酒を飲むこと」と「悪いことをする こと」とは並列の関係にあり、「悪いことをすること」は「てんかん」 「酒を飲むこと」を受けてはいません。すなわち、「悪いこと」がて んかんを指していないことは明白です。にもかかわらず、「てんかん が悪者扱いされている」と主張される姿勢は、理解できません。

 3 については、たとえ日本てんかん協会の運動を理解したとしても、 ここはSF小説の読み取りの場であって、てんかんをもつ人の自動車運 転免許取得の是非を論議する場ではないと考え、コメントは控えます。

 4 について。脳波検査によっては、てんかんかどうかわからない、 という主張ですが、現在においても脳波検査はてんかんの診断の有力 な手段として用いられている以上、本文の記述は誤りとは言えないと 考えます。また、本文脚注の説明が「てんかん発作の−部分 にすぎない」との指摘ですが、発作がてんかんの主要な症状であり、 その発作の代表的な例を取って注記しており、誤ではないと考えます。 ただし、必要があれば、脚注は限られたスペースですので、このほかの 補足すべき情報については指導書で手当てし、現場の先生方の適切な 指導に委ねたいと考えます。

 5 は、「無人警察」に限らず、どんな教材であっても、身体に関わ る記述というものはあります。その記述によって授業の妨げになって はならないとも考えております。しかし、日本てんかん協会の「無人 警察」の記述が「思春期にある高校生を傷つけるようなこと」である とする主張は、これには当てはまらないと考えます。何故ならば、こ れまでの小説の読解によって明らかにされているように、「無人警察」 は、取り締まりに重点を置く未来社会を風刺している小説であるから です。つまり、てんかんの人が脳波検査によって病院に収容されるこ とが肯定的に描かれてはいないのです。現場の先生方には、この点を しっかり押さえ、指導していただくべく、編集委員会・角川書店では 指導書等の周辺の資料を充分なものにしたいと考えております。4 の 場合と同様、高校現場の先生方が、この作品の主旨を充分にご理解さ れた上で、授業を進めていただくことを横極的にお願いしたいと考え ております。

 以上述べた理由に基づき、「無人警察」を差し替えたり、訂正・削 除したりすることは できません。

 尚、小社では、新版「国語I」の教材について、「一番授業をしてみ たい作品アンケート」を実施しました。それによると、「ムダこそ自分 を豊鏡にする」(開高健)「羅生門」(芥川竜之介)についで、「無人 警察」は二位を占めています。このようにこの作品は高等学校の先生方 より高い支持を得ていることをお知らせします。

 このたび貴会が小社と充分話し合うことなく、一方的に記者会見を間 いて声明文を発表し、それを新間各紙に公表したばかりでなく、各都道 府県の教育委員会ならびに各高等学校に対して不採用を求めたこと、さ らに文部省に対しても、すでに検定済である教科書の 検定取り消しを要求するなど、今回、貴会がとられた一連の行動は、自 己の立場を強調するあまり他者をかえりみない不当なものと思れます。 小社といたしましては、このような行為に対し、陳謝を求めるとともに 、あわせて多大な損等を受けていることを申添えます。

1993年8月5日
     〒102東京都千代田区富士見2-13-3 株式会社角川書店
          常務取締役(人椎問題委員会事務局長)永持道明
          取締役辞書教科書部長 組橋俊郎



Last Updated Sep.24.97
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