Kyoukasyo Mondai [kenkai1]

「角川書店・解答書」への見解

社団法人日本てんかん協会会長 高橋哲郎

 角川書店の回答は、すり替えと詭弁に満ちたものである。論点のすり替えが幾つか見られる。

一、われわれは、てんかんに対する偏見がいまだ根強くある中で、このようなものが教科書教材として使用されることは、てんかんに対する偏見を広めることにしかならないと言っている。それに対して、なんらの返答も行っていない。

二、「発作をおこす前に病院に収容する」とは、てんかんをもつ人々に対する人権無視だという指摘に対して、それは交通違反の取り締まりの様子を描いた文章だ、としか回答していない。なぜ、発作もおこさないのに、病院に収容されなければならないのか、少しも説明されていない。大体、発作もおきないのに病院に収容するなどと言うことが、人権無視でないと言うことはどういうことなのか、厳しく糾弾する。

三、「輝かしい未来であれば、てんかんに限らず、病気そのものを克服すべきはずですが」とあるが、なぜ克服していないのか、それは「取り締まり社会」の問題とはまったく別個の問題であり、との言葉自体の中に、てんかんに対する偏見が存在していると言わねばならない。

四、「取り締まり社会を好意的に見ていた主人公が、反逆せざるをえない状況に追いつめられる過程を描いた作品」だとあるが、われわれが問題にしていることはそんな一般的なことではなく、繰り返すが、てんかんについてどう書かれているか、てんかんに対する間違った認識が作られないということである。
 てんかんは「未来社会でも取り締まられる」という大変な間違いを教えておいて、それではこの作品の中で、主人公の考え方はてんかんについてどう変わるのか、何も説明されていない。「そんなことを言っていたのであれば、文学がこわれてしまう」というのであれば、てんかんをもつ人々とその家族を傷つけなければ成り立たないような作品は、教科書教材にしてもらっては困ると言うのがわれわれの主張である。教科書教材にふさわしい文学作品は、他にもいくらでもあるではないか。
 てんかんのもつ人々とその家族はいくらでも傷つけてもよいといわんばかりの角川書店の「社内人権委員会」なるものはいかなるものなのか。そのメンバーに対する責任を追及するものである。

五、「人間のアイデンティティとは何かを問い掛けている作品です。(中略)このような読み取りに立脚して、初めててん かん云々の論議ができるのです。」とあるが、てんかん云々の論議とは、てんかんについて何を論議するのか、どこにも書いていない。内容も方向も示さずに、てんかん云々の論議とは、あまりにもばかにした表現である。

 一体、角川書店と作者が、てんかんについてどんな論議をしたのか、またしようとしているのか、明確にすべきである。 (1993年8月6日)

(社団法人日本てんかん協会機関誌「波」第17巻9号 1993年9月掲載、原文は縦書き)


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