Kyoukasyo Mondai [shokan2]

94年10月18日

日本てんかん協会会長 鈴木勇二 様

筒井康隆

お答えと要望

 貴協会よりの書簡を拝見し、ご要望の趣旨は充分に理解できたと思って おります。
 小生の、断筆に至る直接のきっかけが貴協会よりの抗議にあるとは言 え、本意としてそれが出版マスコミ、特に文壇マスコミの過剰な自主規 制に対する怒りであったことは、すでにご承知のことと思います。従っ て、現在までのさまざまな論議の結果、今や文芸における差別表現の問 題というよりは、教科書問題としてとらえられている「無人警察」の問 題を、一刻も早く終結させてしまいたいと願うのは、小生も同様である とお考えください。
 「無人警察」を、「差別を助長する」小説であると判断された理由に ついての貴協会の主張は、すでに反論もしており、また後に述べる理由 から、ここで再度論じることは控えます。ただし貴協会が再度論点をま とめられたことが強ち無駄であったと言うのではなく、たとえば貴協会 の主張から、貴協会がてんかん患者の運転を無制限に認めているかのよ うに思い込んでいた小生の認識を改めて戴いたことなど、論議を繰り返 すことによって相互理解が深まるのであることを深く自覚させられたこ とは申し添えておきます。
 次に、教科書より「無人警察」を引揚げよという貴協会よりの要望に お答えするかたちで当方の要望を申し述べます。それは、小生 の作品に対しての批判はご自由ですが、削除や訂正などを要求した公的 な抗議は今後行わないで戴きたいという要望です。今回のことでお気づ きのように、今後同様の問題が起ったとしても、差別を助長するか否か という議論と文学論はまったく噛み合うことがなく、不毛の議論となっ て互いの無力感だけが残るという結果に終る上、ただ感情的に吉葉狩り」 だけを憤る者や、自社の自主規制を弁護しようとするマスコミ関係者や、 自主規制の現状を知らぬままに作者を糾弾しようとする文壇のわが論敵な どの、問題点からはずれた部外者からの発言で事態が錯綜し、ますます解 決から遠ざかることは自明です。こうしたことを避けるための了解事項と して、貴協会と小生の間での議論は、ついに了解し得なかった問題も含め、 すでに議論し尽されたものと看倣し、互いの、抗議する自由と表現の自由 を尊重し、このふたつの自由が共に何かを勝ち得たという形で終結を迎え ることが望ましいと信じます(小生現在では、小生と貴協会とのこれまで の議論は、共に基本的人権を踏まえた上での憲法21条<表現の自由>と、 憲法12条、12条の<公共の福祉>の対立ではなかったかと考えております。 もちろん厳密には21条なくして12条、13条は成立せず、その逆もまた成立 しないのですが)。
 いったん検定に通った教科書から小生の作品を削除するということは実は 大層困難なことです。教科書の場合、本来は著作権法によって掲載は作者への 通知のみでよい(それを著作者が拒否できない)ことになっているくらいです から、ましてすでに使用されている教科書から小生の作品のみの削除を求める ことが版元に対していかに困難な要請をすることになるかおわかりになると思 います。そもそも教科書は著作権のありかたが一般の書物とは異っています。 作品の削除を要求するということは、現在ある程度の売れ行き実績があるため すでに来年度の契約も始めていて持に改訂は考えられていない教科書を絶版に するよう版元に要求することにつながります。また、部分改訂するにしても新 たに検定申請をし、検定に合格しなければなりません。その検定も毎年行われ るわけではなく、文部省の検定実施年度(4年ごと)に限られます。従って、 小生の要求によって削除することになれば、次期検定申請締切りは平成7年12 月始めであり、ただちに編集を開始しないと間に合いません(検定を合格した 場合その使用は平成10年度からとなります)。
 そのような困難にかかわらず、小生が「無人警察」の削除を発行元に対して要 求するのは、「想像可能な事故を防ぐための社会良識による決断」とお考えくだ さい。憲法学者・横田耕一教授のおっしやるように、小生もまた「対象に物理的 被害を与えるのでない限り表現の自由は保証される」という考えを持つ者ですが 、仮に「無人警察」が教科書に掲載されたことによる「いじめ」が発生した時、 いかに「物理的被害を与え」た者が小生自身ではなくとも責任はとらねばなりませ ん。またそのいじめの理由が、高校生に多い小生の愛読者による「お前たちのた めに筒井が断筆した」であったとしても、これが報道された際は単純に「無人警 察」に原因があるとされるであろうことも自明であろうと思います。いずれにし てもそうした事故が作者として耐え難いものであることはご想像の通りです。
 小生の読者の中に、そのような事故を起す者がいるとは思いたくありませんが、 今までにも貴協会に対して非常識な電話をし心ない非難を投げた者がいたと伺っ ております。軽挙を慎むよう事あるごとに言ってはおりますが、何しろ小生の肉 声の届く範囲は限られており、あるいは高校におけるいじめという不測の事態が 発生することも考えられます。その場合はただお詫びするしかありません。
 もしこの往復書簡による協議が円満に解決した際には、小生は角川書店に対し て「無人警察」の削除の要求をすることになりますが、そうしたことが有り得る ということはすでに事前に申し伝えてあります。その際には前記の理由により小 生はこの要求が受け入れられるよう出来る限りの努力をすることをお約束します。
 断筆以来の文章力の低下と、この種の文章が不得手なことで、不用意な、また 無礼な部分、説明不足の点もあるかと思いますがお許しください。教科書の新た な編集作業(特に校正)には時間がかかります。解決に向けての速やかなご英断を 願い、ご返事をお待ちします。

(社団法人日本てんかん協会機関誌「波」第19巻1号 1995年1月掲載、原文は縦書き)


Last Updated Sep.24.97
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