この年齢で初体験 - 1996 AOEO参加記-


伊藤文三(東京都)

Last Updated Sep.26.2001:May.12.97からの訪問者数

 第一回アジア太平洋てんかん学会議なるものが、昨年9月6・7日韓国はソウル で開かれました。それに何と出席したのであります。何でそんなものに参加し たか、先ずその経緯を述べます。

 昭和62年から5年間、奄美大島の施設で知恵遅れといわれている子ども達と 暮らしておりましたが、その時抗てんかん剤服用中の者が十数名いました。そ れまで、てんかんと無縁で、てんかんの知識は全くありませんでしたが、子ど もの通院に付き添ったり、クスリをセットしたりしていたので、てんかんにつ いて何も知らないとうわけにいかず、関連の本を読んだり日本てんかん協会に 人会したりしたのであリます。日本てんかん協会は、福祉学でいう所謂セルフ・ ヘルプ・グループで、都道府県に支部のある全国組織、会員約七千名、内訳は、 本人20%、親又は姻戚60%、専門職その他(専門職とは医師・看護婦、施設・ 福祉団体職員、養護学校・特殊学級教師等)20%でありますが、そこで、鹿児 島県支部事務局長の原田さんと知り合いました。原田さんは、鹿児島大学歯学 部の先生で、お子さんがてんかん治療を続けられ知的障害があるとのことでし た(現在、知覧育成園)私は奄美を引き上げ、てんかんと直接かかわりのない 生活にもどりましたが、原出さんとのお付き合いは続いておりました。

 今年の7月、その原田さんから、ソウルで第一回アジア大平洋てんかん学会 議がありそれに出席するが御一緒しませんか、と誘いがあったのであります。 私はてんかん協会を既に退会し、関心があってもてんかんと直接無緑の生活を しており、更に韓国は特に行ってみたい外国ではなし、ということでお断りし ようと思っていたのですが、わが家のばあさんいわく、「人様からお誘いがあ る内が華だ、この際、行ってくれば」と。この一言葉につられ、それをそっく り原田さんに伝え、おともします方事よろしく、と返事をしたのであります。 会議登録料1万円は、原田さんに立て替えて一緒に払い込んでもらい、学会紹 介の旅行社への申し込みも原田さん経由でしてもらいました(ホテルはツイン で同じ部屋、原田さんは福岡、私は成田から)。「第一回アジア太平洋てんか ん学会議ご出張経費お振込みの案内」なるものが旅行社から舞いこみ、請求代 金8万1千円(3泊4日)を払い込むと、航空券と共に送ってきた入国・出国書類 にちやんと名前等タイプで打ってきてくれサインだけすればよいようになって いましたが、職業欄にドクターとあるには恐れ入りました。

 飛行機の座席は出口に近かったので、早々と入国手続きをすませて出ると、 十人以上の女性がツアーの名前やら、個人名を大きく書いた紙を胸にして並ん でいるのです。空港からホテルまでどうやって行くんだと旅行社に聞くと名前 をちやんと言ってあるから分かる様になっているとの御託宣だった事を思いだ し、並んでいる出迎えらしき人達の胸の紙を見ても、私の名前も旅行社の名前 も見あたらない。行ったり来たり前をうろうろしてどうしようかなーと思って いると、中に親切な人が、誰か捜しているのか、ホテルはどこか、と日本語で はなしかけてきました。ホテル・ニューワールドと言うと2〜3人ががやがや相 談し、ある女性の所に連れて行きペラペラ、彼女いわく、伊藤さんですか、と。 彼女の持っていた紙をみると、AOEO参加の方、と書いてあったのです。AOEOと は、Asian Oceanian Epilepsy Organizationの略です。自分の名前と旅行社の 名前ばかり捜していたので、うっかりしたというべきでしよう。あと2人見える 筈でお待ち下さいといわれ、近くの椅子に座ってぽかんと待っていると、夫婦 らしき2人が現れ、ではとデリカにのせられました。彼女所謂現地旅行社ガイド で車中割に流暢な日本語でいろいろ説明してくれました。夫婦らしきお二人は やはり御夫婦で、新潟の小児科のお医者さんとのことでした。ホテルまで約1時 間、ホテルに着いたのは、3時半くらいでしたか、福岡からの原田さんは先に着 いている筈なので、フロントから部屋に電話してもらうと、いないのか出ない という。部屋にはいりたいが鍵はどうするかと聞くと、今開いているから大丈 夫という。フロントに日本語の達者な者おらず、以上すべてガイド嬢を通して であリます。首を傾げながら言われた部屋に行くと開いていると言ったはず、 帰除中。午後の3時半、既に客がチェックインしているというのに、ベッドは くしゃくしゃ、そして本当に原田さんの部屋かなと思ったが、それらしき荷物 が置いてある。帰除の小母さんが何かまくしたてているが、韓国語でちんぷん かんぷん。椅子に座って帰除の終わるのを待ち、小母さんが出ていったので、 ベッドにごろんと寝転ぶ。5時頃ですか、原田さんが姿を見せる。時間が早かっ たので、観光がてら旧市内の方に行っていたとのこと。そこで今回の会議のい ろいろ詳しい事を聞くという我ながら呑気さ。

 今回の会議は韓国のてんかん学会とてんかん協会が、以前から準備していた もので、日本てんかん協会に韓国の協会から、協力依頼があったとか、学会は 学術団体で、協会は福祉団体、そこでいろいろ問題があったようであります。 ソウルのAOEOの公用語は勿論英語、学会会員は問題ないとして、福祉の協会会 員で英語のわかる者が何人いるか、日本てんかん協会も何か発表という事で、 「てんかんをもつ人々の共同作業所」ということで福岡で94年に創立した共同 作業所の実情を発表ということになったが、関係者で英語の達者な人がいない ので九州ブロックに属する鹿児島の原田さんが全面協力することになったとか。 原田さんはアメリカ留学、学会で英語の発表などの経験があったからのようで す。原田さんの話によると、学会等で発表するには、その仕方等にいささか問 題があって、単なる英訳でなく内容その他まで相談せざるを得ず、福岡まで行っ たりで準備のため相当時間がかかったとか。

 翌6日、午前、原田さん福岡作業所所長岡本さんと私3人、会議会場ホテル・ インターコンチネンタルまで、ぶらぶらきょろきょろしながら歩いて行きまし た。30分くらいでしたか。沿道の会社であろうと、店屋であろうと、料理店で あろうと、看板は当然といえば当然ですが韓国文字のみで、全くちんぷんかん ぷん、日本程度に英語もしくはローマ字があると少しはわかるのにと思いました。

 御存知かと思いますが、インターコンチネンタルは、世界主要都市にチェーン を展開しているホテルで、でかくて立派なもの、AOEOとあらこら矢印で表示が してありましたが、うろうろ迷うほど。並んでいる受付のJAPANと表示のあると ころに行き、名前を告げると、白い分厚い紙袋と、1泊旅行位なら間に合いそう な布製の書類カバンを渡してくれました。紙袋・表には太くREGISTRATION、銀 色でEnjoy Your Stay、とあり、裏に大きく01160 Bunzo Itoと書いてありまし た(数字は登録番号と思われます)。いろんな物が入っていました。かなり厚 い小冊子アブストラクトとプログラム、ちやんとした6日のレセプション招待 状と7日のバンケット招待状、B. ITOとちやんと書いてある金属製の名札、AOEO とはいったスポンサー付き箱入りボールペンと便箋、韓国調団扇等であります。 プログラム、アブストラクトによると、教育講演 3、主要シンポジュウム 17、 サテライト・シンポジユウム 13、オーラル・プレゼンテーション 43、ポスタ ー・プレゼンテーション 83、と盛沢山。AUTHOR INDEX に名を連ねているのが 約四百名、当然ですが、韓国人らしき名前がもっとも多く、次が日本人。オー ラルは、8分喋って質問時間4分、ポスターは、7日9時30分から見られるように 準備、タ6時には撤去、午後3時から30分までは、報告者がポスターの前に立っ て、質問者に答える、とあり、原田さんが協力したのは、このポスター作成な のであります。

 いろいろのことが、やっと分かったという始末で、昨日日本てんかん協会の 人からの連絡によると(泊まっているホテルは同じ)、7日アジア・オセアニア てんかん協会シンポジュウムがあり、特別に日本語同時通訳を付けてもらうの で、是非参加を、という事でしたが、どうもぎりぎりで決まったようで、もらっ た英文のプログラムにはこのシンポジュウムは掲載されていませんでした。

 6日は、主にポスタ−の準備、時間をみて地下街でつながっている隣の百貨店 に行ってみました。韓国有数財閥現代グループが8年前に建てたもの。この地区 は、ソウル江南地区といわれており、ソウルオリンピックのため開発されたい わゆるニュータウン、高級地と言われているとかで、その百貨店の高級指向、 そこに群がる金回りのよさそうな客、陳列された商品の日本のデパートにくら べての割高、等々に驚きました。

 6日のレセプションは、立食で寿司・サンドイッチ等で韓国料埋はなく、た いした事ありませんでしたが、年配の人から、日本の方ですかと話しかけら れました。私は京城帝国大学を卒業しました、にはびっくり、それじゃだい ぶお年ですわ、と思わず言ってしまいましたが、渡された名刺で二度びっく り。韓国臨床芸術学会終身名誉会長・PETRUS神経精神科医院長と肩書があり、 私が名刺待ってないというと、日本の学会などでよく行くので、住所を是非に は、全くまいりました。こんな所にいるから、ドグターと思ったんでしょう。

 7日は、主として先に書いた日本語同時通訳付きアジア・オセアニアてんか ん協会シンポジュウムに出ましたが、会場は100名ばかり日本・韓国・ニュー ジーランド・スリランカの人々が喋りましたが、日本を含め大半はインターナ ショナルの場で報告するはどの内容のものだったかいささか疑問に思いました。 これは私のひとりよがりではなく、原田さんもそういう意見でした。私は英語 が苦手でよくわかりませんでしたが、ポスターなど見ても協会関係の報告の中 では、自分から言うのもなんだが、福岡作業所の報告はそれなりの水準にある と思うが、とは原田さんの一言でした。

 日本てんかん協会では積極的に参加をよびかけ、協会が主催し協会前理事の やってる旅行社の添乗員付きツアーまで組みましたが(参加者は20名位だった ようです)どうも参加者の主目的は韓国観光にあったようです。6日は丸一日 旅行社の観光オプショナルッアーに全貝でかけたようで、7日の協会シンポジュ ウムは、我々のために無埋に目本語同時通訳をつけてもらったのだからと、是 非出席するようにとしつこく言っていました。

 7日のバンケットは、ワン・テーブル10名で適当に座り、初めにおえらいさん 4名ばかりの挨拶(勿論英語)あり、一応ディナーコース、食事が終わる頃より 韓国的舞踊のアトラクションが1時間ばかりありましたが、いつのまにか人が減 り、舞踏が終わったころは、半分位になっていたのには、変な気分でした。

 帰国は勿論小児科ドクター夫妻と一緒でした。車の中での話では、ドクターは オーラルで8分報告されたそうですが、時間がおせおせになったり、決められた 所で待機してなかったりで、報告できなかった人々があったそうです。やっぱ り一言葉の壁ですか、トラブルは避けられませんね、との意見でした。

 先に述べたごとく、AOEOは、学術団体のてんかん学会と福祉団体のてんかん 協会の共催ですが、協会役員をしている学会会員のドクターが、協会側として 積極的に動いたので、会議は全く学会色のもので、一般協会員は、あまり関心 を示さず、ツアーに参加した人々も韓国観光が主目的であったようでした。会 場は高級ホテル、いろんな物はくれ、1日目はレセブション、2日目はバンケッ ト、昼飯のため、隣の食堂で使える5千ウォンの食券をくれるわ(この食券でビ ビンバを食べた)で、金を使いよるなーと思ったのですが、1万円は韓国の物価 からいうとかなり高額で(原田註:4倍位)、いちいち値段を推測すると、赤 字どころか、黒字で、しかもこの機会だと薬屋に寄付させてるだろうし、結構 儲かってるなというのが下司の勘繰りでした。第2回は、2年後11月、台湾タイ ペイで開催と案内パンフが、台湾観光パンフ・派手なボールペンと一緒に置い てありました。

 観光らしき観光は一切やらず、買い物も、娘が「キムチ」それもお土産屋で 売っている観光客向けのものでなく現地人が買っている奴と厳命されていたの で、現代百貨店の地下セルフサービス食品売り場で買った素材色々の秤売りの 「キムチ」のみ。この度は、韓国旅行したと言う程のものでありませんでした ので、とやかく言うのもなんですが、私の特に行きたい外国でない韓国に対す るステレオ・タイプ的考えは訂正されませんでした。

 いちご会員のなかには、学者・科学者あるいは元学者・科学者がわられるわ けで、そういう方々がこの駄文を読まれると、なんじゃこれは、と言うところ でしょう。しかし、私にとっては、この年齢で、はじめての国際的学会らしき ものに出席し、その雰囲気にふれ、いやはや「学者商売も楽じゃないなー」と いうのが、いつわらざる感想でした。

 ごたごたした文章で、この年齢は争えませんが、これを読んだ事は「老人性 勝手ブツブツ症候群」に対する「カウンセリング」だったということで、ご寛 容ねがいます。

(旧制甲南高校15回生 文理合同クラス会誌「いちご」 1996年12月25号に 掲載。無断複製、転載をお断りします。)


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